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2009年7月 8日 (水)

7・10裁判-7・12西郡支部大会に参加しよう

7・10明け渡し弾劾裁判に参加しよう

    7月10日(金)午前10時大阪地裁
      *9時半に大阪地裁北門に集まって下さい。


6月5日(金)差押え弾劾裁判闘争

6・5差押え弾劾裁判は、86歳のNさんが、八尾市住宅管理課に怒りを爆発させ、鬼気迫る気迫をもって意見陳述を行った。西郡の解放運動を担い、体現してきたNさんの陳述は、満員の傍聴団の闘いと一体となり、住宅管理課を震え上がらせ、裁判官を圧倒した。
 以下、Nさんの意見陳述を掲載します。


     意 見 陳 述 書

                                                                  2009年6月5日
                                     意見陳述人 N

1 私はNといいます。
  私は、大正12年2月13日に西郡で生まれました。現在86歳です。生まれたのは幸町2丁目付近です。当時は『くさか借家』に住んでいました。現在の木村公園の近くです。
  連れ合いも近所で生まれています。

2 吉村議員の「見返り」発言は絶対に許せません。
  私は、40才ころ井上会差別事件の糾弾闘争を闘いました。これを契機に差別行政反対の闘 いに取り組みました。ムラの宣念寺に集まり、夜を徹して議論し、あるいは八尾市と交渉しました。国に対しても住宅建設をやらせるために、私も、何回も東京に行き、何度も国と交渉しまし た。この団地はみんなの団結の力で国に建てさせた住宅です。みんなが土地や、家を立ち退 いて協力して建てた住宅です。それなのに住民の同意もなしに、八尾市がなんで勝手に家賃 の値上げができるのか、おかしいです。
  応能応益家賃制度では、家賃の計算は、最初は世帯主だけの収入だったけど、それが 夫婦の収入、子供がおったら子供の収入も入れるといいます。これやったら家賃がドン ドン上がって生活ができなくなってしまいます。
  私は応能応益家賃制度はおかしいと思って、97年9月に開かれた八尾市の住民説明会に参加しました。500人くらいが解放会館に集まりました。家賃の説明があって、その時自 分は八尾市行政に「なんで値上げするんだ」と詰め寄りました。そしたら部落解放同盟西郡支 部の女性の役員が「建て替えるから値上げするんだ」と押さえにかかってきたのです。私は、八尾市と西郡支部がこんなことを勝手に決めていることにおかしいじゃないかと言いました。吉村議員はその時反対すると言ったが実はすでに寝返っていました。西郡支部はみんなの声を抑 えて決めていっていました。
  私は、「どういう事や」と思って吉村議員のところに乗り込んで行ったこともあります。
  吉村議員は、「見返り」を隠し、開き直りました。
  八尾市は、それ以後西郡支部の幹部の金もうけになるような改修ばかりして、一方で家賃を 値上げしていったのです。みんなの声を全然聞こうともしなかったのです。吉村議員がこの村をダメにしてしまったのです。
  私たちが村のためにと運動して国に建てさせた意味がなくなってしまいます。一部の解放同 盟の幹部の利益のために住宅の家賃が上がり、私たちが住めなくなってしまうことは絶対許せません。
   吉村議員の「見返り発言」は、これまで私が言ってきたことが真実やった事を白状したということです。
   ムラのみんなの生活を、行政の手先となり、自分たちの利権のために売り渡した、こんな利権まみれの吉村・解放同盟西郡支部の地区協は絶対打倒しなければならなりませ ん。
  利権を使って住民を分断し、住民を追い出す八尾市は絶対に許せません。

3 私が生まれた当時の西郡は田んぼばっかりでした。
  両親とも花緒の仕事をしていました。花緒の仕事がないときは外に働きに行っていま した。だから私は、おばあちゃんに育てられました。家では花緒の仕事をやっていたの で、私も手伝っていました。
   花緒の仕事は、1年のうち半年ぐらいしかなく、仕事のあるときは、納期に追い立てられ、家族総出で働かなければなりませんでした。どこの家庭でも、そんな時は子どもに学校を休ませていました。私も朝から、夜中まで働きました。家での花緒の手伝いのため、学校には行ったりいかなんだりでした。小学校には1年か2年、小学校の途中までしかいけませんでした。生活が精一杯で、学校には行かせてもらえなかったのです。
  戦争中も花緒の仕事をしていました。戦争が終わってからも、昭和の40年ぐらいまで花緒の仕事をしていました。高度成長と共に生活も代わり、花緒の仕事が廃れていく中で、花緒の仕事がなくなり、それ以後は、大工とか土方をしてきました。
 昭和40年ぐらいから長瀬川の下水の処理、川の掃除をしていました。八尾市と東大 阪にかかわる、農協の仕事です。この仕事を定年の63歳までしていました。当時一日 働いて190円でした。退職後は仕事をしていません。

  私の兄弟には、長男がいましたが、生まれて直ぐになくなりました。それで私が次男やけども長男になりました。私は昭和22年に結婚し、3人の子どもを授かりましたが、長女を、生後八ヶ月でなくしました。西郡にすんでいる人はどこもそうですが、差別のために栄養状態や、生活環境が悪く、幼いうちに子どもがなくなる人が多かったのです。
 3人いた弟のうち二人の弟はすでになくなり、一番下の弟が西郡市営住宅に住んでいます。

   私は結婚しても、両親と同居し、わたしたちは長屋の二階に住んでいました。
 今住んでいる西郡市営住宅には、団地が建って直ぐに入りました。昭和46年か47年ごろです。当時部落解放同盟西郡支部の役員で、八尾市議会議員の北村善三さんから、「ここに入れ」という指示があったので入りました。入居については、八尾市も 解放同盟に任せっきりでした。私の両親は16棟に入りましたが、私の息子は市営住宅に入ることができず、高砂の府営住宅に移り住みました。
  長屋を立ち退くに当たって、市長や住宅管理課とは会っていません。また長屋を立ち 退くときに、立ち退き料はもらっていませんし、何の補償もありませんでした。
 当時長屋の家賃は300円ぐらいでした。団地にはじめて入ったとき、家賃は900円でした。今後も家賃が上がるんやったら入るのはいらん、と言いました。しかし解放同盟の人からいけと言われたので、仕方なく入りました。

4 今住んでいる団地は、6畳、4畳半、3畳、炊事場です。畳も3年に一回張り替える という約束でしたが、入って3年目に一回あっただけで、それ以降一回もありません。 私は、最初の時は、まだ畳も新しくもったいなかったので、畳替えはその時しませんで した。畳替えの話しはそれっきりです。
 風呂はありませんでした。5階建てなのにエレベータもありません。10年ほど前に自分でお金を出してベランダに簡易風呂を作りました。それまでは風呂屋にいっていました。八尾市がしたことといえば、炊事場の流しを新しいのにかえてくれたことぐらいです。これは裁判があったので、八尾市が急きょやったものです。値上げするから、どっかなおしておかないと値上げでけへんから、裁判のためにやったのです。押し入れのふすまなども自分で換えました。
 二階に入った人が、水を流したたために、水が漏ってきたことがありましたが、その時、天井も自分で張り替えました。八尾市はなにもしてくれません。

5 家賃は900円から、6700円まで上がりました。初め下げるといっていたが、「家を修繕して建て増しするから家賃あげる」、「修理し、これだけかかったから、家賃上げる」と吉村議員が言ってきました。
 私は、「そんなんやったら建て替えなんかいらん」とこたえました。
 10年の間に家賃あげるからと吉村議員が言ったが、「納得でけへん」と言いました。 それで10年前に供託をはじめたのです。
 もともと家賃は、2800円やったのが、収入申告してないということで平成11年度に、32600円になってしまいました。平成12年に若干安くなったけれども、31700円に共益費を加えたら、32500円、10倍以上になっています。
 近傍同種家賃といってべらぼうな家賃をふっかけているが、悪徳サラ金まがいの家賃 のおしつけで、絶対に許せません。
   改修のためと言うのもウソです。住民を追い出すために出されたのが応能応益家賃制度です。
  こんな制度は廃止以外にありません。

   2月26日の森本さんへの強制執行は森本さんだけでなく、私や住民全部を追い出す 攻撃であることははっきりしており、絶対に許せません。住宅闘争は労働者みんなの「生 きさせろ」のたたかいです。団結してたたかおう。
   
    最後に、今回の八尾市による年金差押えは、私たち夫婦の生きる権利を奪い、「死ね」、という攻撃です。絶対に私たちは負けません。八尾市は差し押さえた年金をみんなに返し、謝罪せよ。

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