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2010年12月

2010年12月31日 (金)

大阪高裁による結審弾劾!

12.22差押え弾劾裁判控訴審第一回口頭弁論での即日結審を弾劾する!

 われわれは、断じて大阪高裁民事八部による差押え弾劾裁判の即日結審を断じて認めることは出来ない。徹底的に弾劾しよう。

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貯金・年金差押え弾劾裁判の控訴審第一回口頭弁論は、12月22日(水)午後3時半から、大阪裁判所・202号大法廷で開かれた。裁判は、原告団団長の佃照夫さんの一審判決弾劾の気迫の意見陳述(別掲)から始まった。
 佃さんは、「 この改良住宅は、私たち住民の土地や建物を明け渡すという犠牲において成り立っていて、八尾市も家賃増額に対しては住民の合意によって家賃が決められていました。しかし、市は近年、公営住宅法の名をかり、吉村議員と見返りの約束をし西郡住民に話し合いをすると言いながら住民に一切の説明を行わず、応能応益家賃制度導入を行ってきたのです。このことは昨年3月議会で、吉村議員が「応能応益家賃については、やむなしでのんだ。しかし、役所は見返りを実現してくれない」と見返りの裏取引を白状していることからも明らかです。すべて市の嘘とだましにより押しつけてきたものです。」と八尾市を徹底弾劾した。そして、「一方的に、田中さん辻西さん岡邨さんたち3人に住宅明け渡しの書面を送りつけ、行動に出てきたのです。話し合いの約束を破ったのは八尾市です。抗議と説明を求めにいくのは当然です。「抗議ばかりで話し合おうとしなかった」と言っていますが裁判所はいつから嘘つきの擁護者になったのでしょうか。行政の嘘とだましは認めるのですか」、「一審判決は、私たち住民の今までの事実関係を無視し、意見陳述をも受け入れず、応能応益家賃の公営住宅法を正当化してきたのです。事実をねじ曲げ八尾市を擁護する一審判決を許すことは出来ません」と、一審判決を怒りを込めて弾劾した。
 傍聴団は、佃さんと一体となり、かけ声を合わせたたかった。
 この法廷において、原告の佃文弘・西郡支部青年部長とAさんの陳述書が提出され、岡邨洋・西郡支部支部長の証人申請が行われた。
 ところが裁判長は、即日結審すると言い出した。法廷は一気に怒りが爆発!裁判官に対する怒りの声が叩きつけられた。裁判官は、一方的に判決日を告げ逃げるように法廷を出て行った。大法廷は怒りのシュプレヒコールが鳴り響いた。一方的結審を断じて許さないぞ!
 判決は、2月10日午後3時半からとなった。大結集で反動判決を打ち砕こう。


以下、佃さんの意見陳述を掲載します。

                                陳 述 書

大阪高等裁判所 第8民事部 御中
                                                  2010年12月22日
                                                                         佃  照夫

 西郡住宅地区の改良住宅は一般の公営住宅と違い、歴史における私達住民の運動で成果をあげた経緯があり、一審の大阪地裁において意見陳述で述べた通りであります。
 この改良住宅は、私たち住民の土地や建物を明け渡すという犠牲において成り立っていて、八尾市も家賃増額に対しては住民の合意によって家賃が決められていました。しかし、市は近年、公営住宅法の名をかり、吉村議員と見返りの約束をし西郡住民に話し合いをすると言いながら住民に一切の説明を行わず、応能応益家賃制度導入を行ってきたのです。このことは昨年3月議会で、吉村議員が「応能応益家賃については、やむなしでのんだ。しかし、役所は見返りを実現してくれない」と見返りの裏取引を白状していることからも明らかです。すべて市の嘘とだましにより押しつけてきたものです。
 私達住民は応能応益家賃について再三再四話し合いを市に求めたが、ある時は、役所内で一部の職員が全員マスクをして名札をはずしピケをはって、話し合いを受け入れない行動で私達を閉め出しました。平成19年8月17日市が一方的に催告書を送りつけて来たので、私たちは話し合いを求めて市長と会い、9月13日には、私達の代表として末光議員が橋本建築長と会って、催告書の期限は延期し、話し合いの場を持つ約束をとってくれました。しかし話し合いの直前に、一方的に、田中さん辻西さん岡邨さんたち3人に住宅明け渡しの書面を送りつけ、行動に出てきたのです。話し合いの約束を破ったのは八尾市です。抗議と説明を求めにいくのは当然です。「抗議ばかりで話し合おうとしなかった」と言っていますが裁判所はいつから嘘つきの擁護者になったのでしょうか。行政の嘘とだましは認めるのですか。
 田中さん辻西さん岡邨さんへの明け渡しの通知を送ってきたのだから私達とは別だと言っていますが別ではありません。田中さん達3人と私達は同じ問題で闘っているのです。それなのに、私達の団結を崩すため、先に3人に見せしめ的に明け渡し攻撃をかけてきたのです。絶対にゆるせません。3人と私たちは一体です。
 しかも、一審判決は話し合いの約束は「滞納家賃」の支払い方法の話し合いだったと言っていますが、これも事実と違います。そのような話し合いを求めたことはないし、末光議員にそんなことを頼んだことは一度もありません。
 一審判決は、私たち住民の今までの事実関係を無視し、意見陳述をも受け入れず、応能応益家賃の公営住宅法を正当化してきたのです。事実をねじ曲げ八尾市を擁護する一審判決を許すことは出来ません。
 そして何よりゆるされないのが、住宅明け渡しと同じく、年金や預金通帳の差押えは当然の如くの判決です。わずかな年金や預金口座は私たちの生活に絶対に必要不可欠なものであり、郵便貯金口座は水道料金や保険の引き落としの為に利用していた口座です。それを市は全額差し押さえ残金ゼロにし、さらに平成20年7月14日、追い打ちをかけるように中河内農協組合の口座を差し押さえてきた。この口座は年金と直接生活基盤としていた公共料金と営業を営んでいる軽食と喫茶の売り上げ並びに仕入れや諸経費などの為の預金口座であった。これも全て差し押さえてゼロにするという悪辣な行動を市の行政は行ってきた。その結果、平成20年10月30日をもって店は廃業に(税務署には平成20年11月7日廃業申請)至った事など、どこまでも住民を苦しめたらよいのか、それが八尾市行政のやり方か、私たちの生存権や生活権に対する迫害であると言っても過言ではない。いったい憲法は何の為にあるのか、国民の権利、生存権、生活権を守るための法律ではないのか、それを一審の判決において裁判官は「なんら日々の生活に支障がないから、全額差し押さえても大したことはない」と言っている。いったいどういうことなのか、私達住民の生きるか死ぬかの問題を、司法は平然と憲法違反ではないと言っている。こんなことが許されていいのか。正義は力に勝てないのか、つまり司法は権力に勝てないということなのか。
 私たちはさらに真実を明らかにするため訴えるものです。

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2010年12月22日 (水)

12.22差押え弾劾控訴審第一回口頭弁論に結集しよう

12月22日郵便貯金・年金差押え弾劾裁判・控訴審闘争に結集しよう

   午後3時 大阪裁判所北門前に集まって下さい

   午後3時半 大阪高等裁判所202号大法廷

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2010年12月20日 (月)

差押え弾劾裁判控訴審意見陳述

青年の未来のために私は旗を立てつづける

ムラの破壊をみんなの団結で阻止しよう

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2010年12月19日 (日)

杉並支部、東日本解放共闘が東京高裁要請行動に決起

狭山再審をただちにおこなえ

東京高裁に怒りの要請行動に決起

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 12月10日、全国連杉並支部は東日本共闘会議の仲間とともに、東京高裁岡田裁判長に対して、「狭山再審をただちにおこなえ!」の要請行動に決起しました。杉並支部は、三者協議路線による狭山闘争の解体策動と対決して、寺尾判決36カ年を機に新たな狭山署名運動を開始し、約1ヶ月で集まった署名を第一次集約としてこの日、79筆を提出しました。
 午前11時半からの申し入れでは、岡田裁判長のもとで第三次再審がまったく進展していないこと、むしろ三者協議を使って「石川有罪」の国家意思を貫こうとしていることを徹底的に弾劾し、ただちに事実調べと再審を開始せよと、迫りました。
 田中杉並支部長は、要請の中で、再審開始と、本人尋問をはじめ、証拠・証人・現場検証の事実調べ、そして検察に対する全証拠開示の命令をだせと、三点にわたって追及しました。解放共闘を代表して東京・南部交流センターの労働者が「階級分断攻撃としての狭山差別裁判の強行を弾劾し、ただちに再審を開始し、石川さんに謝罪せよ」と怒りを込めて要請しました。
 全国連西郡支部の「部落差別による差別裁判を撤回し、無実の石川一雄さんに再審・無罪判決をおこなえ」との要請書(別掲)を杉並支部の青年が代読し、住宅追い出しなど新自由主義攻撃の最先端でたたかう西郡支部のたたかいが狭山闘争とひとつのものとしてたたかわれていることを明らかにし、国家権力や資本の攻撃とは「絶対反対」「非妥協」でたたかうと宣言しました。
 対応にあたった南須原訟廷管理官は、狭山差別裁判についての私たちの追及に「答えられないのが答え」と言ったり、主任書記官の氏名すら明らかにしないという不誠実な対応に終止しました。私たちは怒りを爆発させ、「あなたたちがこの国家権力による差別犯罪を支えているのだ。ひとりの労働者として石川さんの無実の叫びとたたかいに向き合え」、「現地調査をすれば寺尾判決がいかにデタラメであるか、すぐわかる」、「狭山闘争は労働者のたたかいと結びついて発展してきた。労働者のたたかいの爆発で必ず真実を明らかにする」と南須原管理官らに叩きつけました。
 その後、12時過ぎから東京高裁前で街宣・署名活動をおこないました。約1時間で200枚のチラシが手渡され、私たちの訴えに署名用紙とチラシを持ち帰る人もでるなど、大きな反響を呼びました。

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狭山再審を直ちに行え

要 請 書

 東京高等裁判所第四刑事部
      岡田雄一裁判長 様          

岡田雄一裁判長 殿         
                       部落解放同盟全国連合会西郡支部
                       支部長 岡邨 洋

狭山裁判第三次再審開始を求める。

1963年5月1日、女子高校生誘拐殺人事件・狭山事件が起こりました。警察は真犯人を取り逃がし、警察の権威は地に落ちました。
 
警察は、失態をとりつくろい、労働者支配の危機を立て直すために、被差別部落に集中的に見込み、捜査を行い、5月23日、石川一雄さんを「犯人」にデッチあげ、逮捕したのです。ハンストまでして無実を主張する石川さんを、警察は卑劣なウソとダマシで「自白」に追い込み、1964年、一審・浦和地裁は、わずか半年間の審理で死刑判決。1947年、東京高裁・寺尾裁判長は、石川さんの無実を百も承知で、無期懲役の判決を下しました。
 
資本家の労働支配を維持するために国家権力が部落を襲撃して、無実の石川さんを1995年12月の仮出獄まで31年7ヶ月も監獄にぶち込んで、仮出獄以後も「殺人犯」扱いし監視して、再収監のおどしで縛りつけています。国家権力の権力犯罪、差別犯罪です。絶対に許せません。
 狭山差別裁判糾弾闘争は、無実の部落民を殺人犯に仕立てあげ、死刑判決を下し殺そうとした全過程を明らかにして、国家権力の部落差別犯罪を暴き糾弾し、石川さんの無実を明らかにし、完全無罪判決をかちとる闘いです。石川さんの「司法権力による部落差別弾劾、権力打倒」の叫びこそ狭山闘争の原点です。
 1970年代、狭山闘争は11万人決起を生み出しました。闘いの主役は部落青年と学生・青年労働者であり、都心を揺るがす実力デモが繰り返し展開されました。

それは、部落解放闘争を体制内に押しとどめようとする解放同盟の制動を超えた部落大衆、とりわけ部落青年の自己解放的決起でもあったのです。

 狭山闘争解体の「三者協議路線」に断固反対します。

 民主党・菅政権は、解放同盟の松本 龍を入閣させ、取り込み、4.9政治和解による国鉄闘争解体、労働運動一掃の攻撃を推し進める悪辣な策動を進めています。それが三者協議を使った狭山闘争破壊の攻撃です。
 
西郡支部は、三者協議にすべてを託して単なる「えん罪」として、狭山闘争の階級的発展を解体しようとすることに断固反対です。
 
それは「4.9政治和解」下にあって、国家権力の差別犯罪を暴き糾弾し完全無罪を勝ち取るという石川さんの不退転の決意と闘いを圧殺し、狭山闘争を解体し、ひいては戦後部落差別解放闘争そのものを一掃してしまおうとする国家権力の攻撃だからです。
完全無罪を勝ち取るという石川一雄さんの不退転の意志と国家権力に対する非妥協性で、狭山闘争は歴史的勝利を積み重ねてきました。
 
私たちは、部落差別による差別裁判を撤回し、無実の石川一雄さんに再審・無罪判決をおこなうよう東京高裁に要請します。

                           2010年12月10日

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